写真の定義

前振り

ついつい考えてしまう事に、写真とは何か、というテーマがある。最近僕の中では完全に写真の意味は崩壊して絵画として取り込まれた。ただし前提として(気取った言い方ではあるが)芸術の範疇で。

昨日、bookoffで日本カメラ800号記念号というのを暇潰しに買った。K100DSuperで撮るなんたら、と書いてあったのでそんなに古いものではない。完全に伝統芸能化しているフォトコンテストのコーナーで金賞に選ばれている写真がデジタルカメラの写真だったのだが、そこの選評で「この写真はphotoshopなどで調整されてプリントされたものだろう。これからはこういうものも受け入れていかなければなるまい」的な事が書いてあって仰天した。内容はいたって保守的な、富士山をバックにした少し変わったポートレートである。べつに花を人間サイズに拡大したとかではないのに。70年代にそういう固定観念は無くなったとばかり思っていたよ(ちなみにその頃に出版された本をみると、今の伝統芸能的写真批評じゃなくてもっと進んでる批評が見られて楽しい)。

どこまでが写真なのか

なにやったって写真だし絵画だ、というのが僕の見解だが、無駄に問答してみる。

まず一番固定的な考え方としては、銀塩じゃないと写真じゃない、という人だろう。ネガ現像ではいくらでもプリントの選択肢があるのでいじり放題なのに。いやいやポジのみ写真だ、という人はいないと思うが……、それは単に富士フィルムにおまかせしているだけだ。
次の壁としては、これはかなりの数いると思うのだけど、デジカメは使うが、あくまでカメラ内でできる現像設定に限定し、現像ソフトでトーンカーブを個別にいじるのは邪道とする人。気持ちはわかるけど、カメラ内ではメーカーの色作りが行われていることを思えばトーンカーブをさわることには何の抵抗もないはず。カメラ設定いじっているのと同一である。
さらに次の壁として、部分的修正を入れるのは邪道というもの。顔だけ綺麗にしたりする補正。でもこれもよく考えれば、シャドーを立てる為にレフ入れるのと何が違うのだろう?撮影前にやっているか撮影後にやっているかの差でしかない。

では極端にジャンプして、さらにさらに次の壁として、イラストをスキャンしたものは写真として邪道なのかと。ご承知の通りスキャナというのはラインセンサーでピント固定の超接写専用デジカメであるのだから、イラストも立派な写真だと言えよう。えーありえねーよ、とか言わないでね。伝統芸能的雑誌のフォトコンでもpicture in pictureの構図はありがちなんだから。スキャナでとった画像にはまわりが写っていないだけだ。

さらにさらにジャンプして、自分でPCで最初から書いたCGは写真かどうか。うーんこれはさすがに写真じゃないだろう、と思っても、じゃあCGを写しだした、高級ディスプレイをめいっぱいのレンジでカメラで撮影したらどうなのか。どうなの?どうなんですか?

こう考えていくと写真なんてものは存在しないわけで、絵画の一技法にしか過ぎないということになる。

あらためて写真と芸術について

写真の不幸な所は技法の自由度の面が絵画に比べて狭かったこと。絵画で言えばみんなが似たような筆で似たような絵の具で似たようなタッチで描いている状態なわけで、どうにも差別化ができず、写真は説明的(つまりしょーじき白と黒の比率などでは差別化が図れないので、思想が込められていなければ皆が「崇高な写真だ」とは思わない。前が行き止まりになって腐りだした20世紀的芸術発想)か、モチーフ自体をショッキングなものにするしかなかった。今もそういう状態は続いている。

まあでもデジタル化も進んで、いくつかそれらしき道も開けてきたのではないかと思う。今月の雑誌Pen(http://pen.hankyu-com.co.jp/)ででていた作家はどれも素晴しかった。商業写真ではとっくの昔からアナデジ混合の写真だけど、もっと芸術方面に振れてもいいんじゃないかねとか考える。クライアントありきじゃなくて、もっと自分の表現したいものの為にデジタルetc.の技術をもっと使って、表現していけたらいいのだが……そう言っている自分もその辺でわけがわからなくなってうろうろしている状態なので、まあこれは単なる自分への問答駄文ということになるな。知見不足だったらごめんなさい。